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東京地方裁判所 平成4年(ワ)9610号 判決

原告

甲野太郎

右訴訟代理人弁護士

岡慎一

桑原育朗

被告

東京都

右代表者知事

青島幸男

右指定代理人

富樫博義

外三名

被告

右代表者法務大臣

長尾立子

右指定代理人

松村玲子

外二名

主文

一  原告の被告両名に対する請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用はすべて原告の負担とする。

事実及び理由

第一  原告の請求

被告らは、原告に対し、各自二〇〇万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日(平成四年六月二六日)から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

本件は、原告が、逮捕勾留の理由も必要性もないのに、警視庁蒲田警察署警察官から逮捕状を請求され、次いで東京地方検察庁検察官から勾留を請求されたうえ、東京地方裁判所裁判官から勾留決定を受けたとして、逮捕状を請求した警察官が所属する被告東京都と、勾留請求した検察官及び勾留決定した裁判官が所属する被告国に対して、国家賠償法一条一項に基づき損害賠償を請求する事案である。

一  争いのない事実等

1  原告は、平成元年一一月当時、千葉市内でレストラン「イタリアントマト稲毛店」を経営していたものであるが、右当時、以前の取引先である訴外高瀬物産株式会社(以下「高瀬物産」という)に対し、買掛金債務三〇九万六五七一円を負っていた。

平成元年一一月一四日、高瀬物産千葉支店長である訴外中嶋政喜(以下「中嶋」という)及び同社の従業員である訴外千田吉郎(以下「千田」という)が、右売掛金債権回収のため、当時原告が居住していた大田区矢口三丁目二八番八号所在東急ドエルアルス多摩川(以下「原告居住マンション」という)五三七号室を訪問した際、右マンション一階で、原告が中嶋に対し、少なくともネクタイを一回引っ張る暴行を加えた(但し、それ以上の暴行が加えられたか否かについては後記のとおり争いがある)。

中嶋は、同月二一日、蒲田警察署上野勝久警部補(以下「上野警部補」という)に対し、「自分は、平成元年一一月一四日、原告居住マンションの一階において、原告から、胸倉を掴まれて左右に数回振り回され、蹴飛ばされる等の暴行を加えられ、これによって全治一〇日を要する頚部挫傷の傷害を受けた」旨の被害を申告した。

2  蒲田警察署渡邊貞治警部(以下「渡邊警部」という)は、同月二八日、中嶋に対する傷害被疑事件(以下「本件被疑事件」という)について、大森簡易裁判所裁判官に対し、原告に対する逮捕状を請求した(以下「本件逮捕状請求」という)。

大森簡易裁判所裁判官は、右同日、右逮捕状を発布した。

3  上野警部補ほか三名の警察官は、同年一二月二日、右逮捕状に基づき、原告宅において原告を通常逮捕した。

4  東京地方検察庁検察官は、同月三日、本件被疑事件について、東京地方裁判所裁判官に対し、原告の勾留請求をした(以下「本件勾留請求」という)。

5  東京地方裁判所裁判官は、同月四日、右請求に基づき勾留決定をし(以下「本件勾留決定」という)、原告は右決定に基づき、蒲田警察署留置場に勾留された。

6  東京地方検察庁検察官は、同月一一日、処分保留のまま原告を釈放し、その後、本件被疑事件を不起訴処分とした。

7  高瀬物産及び中嶋は、平成二年三月二三日、原告に対し、売掛代金三〇九万六五七一円及び傷害による損害賠償金一五万四六二〇円をそれぞれ請求する本訴を東京地方裁判所に提起し(平成二年(ワ)第三四一九号)、原告は、高瀬物産及び中嶋に対し、誣告による損害賠償金一二〇八万円を請求する反訴を提起した(同年(ワ)第一一二六四号)。

右事件について、第一審は、平成三年五月三〇日、本訴請求について当事者間に争いのない右売掛代金金額のほか、中嶋主張の原告による暴行の事実を認定したうえでその損害賠償として一〇万四六二〇円を認容し、原告の反訴請求については中嶋が警察官に申告した事実は虚偽ではないから誣告に該らないとしてこれを全部棄却する旨の判決を言い渡した(甲第四号証の一)。

原告は、右判決について、東京高等裁判所に控訴を申し立てたが(平成三年(ネ)第二〇八一号)、平成四年一月三一日、「原告は高瀬物産に対して買掛金債務三〇九万六五七一円の支払義務を認め、そのうち二七〇万円を和解の席上で支払う。高瀬物産は原告に対するその余の買掛金支払義務を免除する。中嶋は原告に対する請求を放棄する。原告及び中嶋と高瀬物産との間には、何らの債権債務のないことを相互に確認する。」旨の訴訟上の和解が成立した(甲第四号証の二)。

二  争点

(原告の主張)

1 本件逮捕状請求の違法性

(一) 逮捕理由(相当な嫌疑)の欠如

中嶋らは、原告宅玄関前で怒号し、玄関ドアを叩く蹴る等の暴力的な債権取立を行ったものであるうえ、中嶋は、原告居住マンション一階付近に待機し、階段を降りてきた原告に対し、怒号しながら掴みかかるように手を延ばしながら突進してきたものである。そのため原告は、中嶋を制止するために咄嗟に同人のネクタイを掴んで防御したにすぎない。その後に、中嶋らが暴力的な債権取立を一応断念したために、右マンション二階のレストランで約一時間にわたって食事をしながら買掛金債務を弁済する段取りについて話し合い、一応の合意を見るに至ったものであって、右経過の中で、中嶋が頚部挫傷の傷害を負った事実はない。

ところで、本件被疑事件を基礎づける資料は、中嶋・千田の供述調書、中嶋の被害届及び訴外千葉健生病院医師作成の「中嶋に全治一〇日を超える頚部挫傷がある」旨の診断書しか存しないところ、本件被疑事件は、高瀬物産と原告の民事紛争に関連したものであり、一方当事者が警察の介入によって債権回収を図るため虚偽の事実を申告する危険性があるうえ、唯一の客観的証拠たりうる右診断書は、患者の主訴だけで作成されうるもので誣告に利用される危険性があるものであるから、捜査機関としては、右診断書を作成した医師らへの聞き取り、原告の資産・信用状態の調査及び原告本人からの事情聴取等の裏付け捜査をすることが不可欠であるところ、蒲田警察署警察官は、その裏付け捜査を何ら行っていないのであるから、本件被疑事件の嫌疑を基礎づける資料は実質的には中嶋の被害申告だけしかなく、右申告が信用しうるとの判断には客観的・合理的根拠が一切なかったものであるから、本件逮捕状請求は、罪を犯したと疑うに足りる客観的合理的根拠のないままに行われた違法なものである。

(二) 逮捕の必要性の欠如

本件被疑事件が、重大事案とはいえないこと、民事紛争を背景に持つことが明らかであること、及び原告の社会的地位、財産状態等を考慮すれば、原告が暴力団構成員である等の特別な事情がない以上、少なくともまず任意の取調べを行って紛争の両当事者から事情を聴取すべきであったところ、蒲田警察署警察官は、原告に対する任意の呼出しを一度も行っていない。これに加え、被告東京都は、原告宅の架設電話に対する捜査によれば架設名義人が原告でなかった、原告宅付近の居住者等に対する聞込み捜査や原告に対する張込み捜査によっても原告の行動実態等が明らかにならなかった等と主張するが、原告宅の電話の架設名義は原告が経営する会社名義であったこと、今日の東京の巨大マンションにおいては近隣居住者の職業等を知らないのが通常であること、原告が本件被疑事件当時、大阪府でもレストランを経営しており、その店舗売却交渉のため、張込み捜査等がなされたとされる平成元年一一月二三日から同月二七日までの間、同所に出張していた可能性もあること、原告は当時の時価で約五億円の資産を有し、少なくとも「イタリアントマト稲毛店」の店長をしていることは判明しているのであるから、原告が逃亡するのは想定し難いはずであることからすれば、蒲田警察署警察官は原告の逃亡・罪証隠滅のおそれを基礎づける資料を十分に収集していたとはいえず、本件逮捕状請求は逮捕の必要性のないままに行われた違法なものである。

2 本件勾留請求の違法性

(一) 勾留理由(相当な嫌疑)の欠如

本件勾留請求の時点においては、本件被疑事件の嫌疑を基礎づける資料は、本件逮捕状請求時のそれと同じだったことに加え、逮捕後の原告の供述により、本件被疑事件が民事紛争を背景とするものであること、中嶋らの供述が一方的なものであったこと、診断書の信用性が低いこと、原告の財産状況・家庭状況等が明らかとなり、原告の供述態度や供述内容の具体性から見ても中嶋の被害申告の信用性はさらに崩れていたことからすれば、本件勾留請求時においては、本件被疑事件の嫌疑を基礎づける事実が本件逮捕状請求時よりも更に乏しい状態であったから、本件勾留請求は、罪を犯したと疑うに足りる客観的・合理的根拠のないままに行われた違法なものである。

(二) 勾留の必要性の欠如

本件勾留請求時点においては、逮捕後の原告の供述により、本件被疑事件が民事紛争を背景とするものであること、原告は買掛金債務の弁済の意思を表明していたこと、本件被疑事件時にも解決に向けた話し合いがされていたこと、原告の財産状況・家庭状況等が明らかとなっており、原告に逃亡・罪証隠滅のおそれがないことが明白となっていたのであるから、本件勾留請求は、勾留の必要性のないままに行われた違法なものである。

3 本件勾留決定の違法性

前記2と同じ。

被告国は、争訟の裁判について国家賠償法上違法となる要件を「当該裁判官が違法又は不当な目的をもって裁判をしたなど、裁判官がその付与された権限の趣旨に明らかに背いてこれを行使したものと認めうるような特別の事情があることを必要とする」とした最高裁昭和五七年三月一二日第二小法廷判決が裁判官の職務行為一般に妥当し、本件勾留決定について右特別の事情が存しないことは明らかであると主張する。

しかし、右判決は、当事者が参加した訴訟手続において瑕疵を是正することが予定されている裁判制度のもとでは、当該訴訟手続とは別個の国家賠償請求訴訟で異なった判断がされることが裁判制度の本質に反することから、「争訟の裁判」についてのみ国家賠償請求を制限したものであるところ、「争訟の裁判」とは権利又は法律関係の存否について関係当事者間に争いがある場合に、一方当事者の申立に基づいて裁判所が双方当事者を手続に関与させたうえで、公権力をもってその争いを終局的に確定する手続を意味するものである。しかるに、勾留裁判は、被疑者側の主張の機会を欠くうえ、権利又は法律関係の存否の終局的確定を目的としない行政的性格を有する判断作用であるから「争訟の裁判」にあたらず、右判決は勾留裁判については妥当しないものと解すべきである。

また、仮に、右判決がすべての裁判について妥当するとしても、その違法要件が限定される程度は、当該裁判の性質や手続によって個別に判断されるべきであるところ、勾留裁判は、対立当事者の主張立証に基づく判断作用ではなく、憲法の令状主義の要請のもと、捜査機関の請求の適正をチェックする性格を有し、これに対する不服申立手続も準抗告等の簡易なものしかないから、裁判官には対審構造を前提とした判断を行う場合とは異なった行為規範と注意義務が課されると解すべきであるうえ、勾留の理由と必要性を欠く勾留決定がなされた場合に被疑者が受ける不利益は、民事事件手続における判断による不利益に比して直接かつ重大なものであって、民事事件の場合と異なり対立当事者からの損害賠償による救済もありえず、また、無罪判決を受けた場合等と異なり刑事補償の対象ともされていないのであるから、勾留裁判については、勾留の理由と必要性の判断に著しく合理性を欠いた場合には、前記「特別の事情」が認められ、国家賠償法上も違法となると解すべきである。

4 損害

(一) 原告は、逮捕勾留によって、(1)捜査における指紋等の採取、裸にされての身体検査、手錠をはめられての押送、人格に対する罵倒などにより自尊心を傷つけられ、耐えがたい屈辱を受けたうえ、(2)原告が取締役や監査役を務める会社に逮捕勾留されたことが発覚すれば慣行上解職は免れないため、いつ発覚するのかとの強い不安を余儀なくされ、(3)病床にある父が逮捕勾留を知りショックを受けて回復の機会を失ってそのまま死亡するに至り、(4)暖房設備がない代用監獄に収監され、持病の痛風を著しく悪化させたため、歩行が困難になり、釈放後も一週間にわたって松葉杖での歩行を余儀なくされるなど、多大の精神的損害を被ったものであり、その慰謝料は一〇〇〇万円を下らない。

(二) 原告は、逮捕直前に、大阪で経営していたレストランを二〇〇〇万円で売却する旨の覚書を取り交わしていたところ、逮捕されたことにより売買契約の最終交渉などの場に出席できなくなり、また出席できない理由を公にできないこともあって、買主から誠意を疑われ、売買代金を二〇〇万円減額せざるを得なかったことによる損害を被った。また、右店舗に付けていた電話債権も併せて移転することを余儀なくされ、電話債権七万円の損害を被り、合計二〇七万円の経済的損害を被った。

(三) 治療費

原告は、代用監獄に収監されたことにより、前記のように持病の痛風を悪化させ、その治療のため通院し投薬を受け、治療費合計一万円の損害を被った。

5 よって、原告は、被告らに対し、国家賠償法一条一項に基づき、右損害金合計一二〇八万円の内金二〇〇万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成四年六月二六日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(被告らの主張)

1 本件逮捕状請求の適法性

原告は、買掛金債権の回収交渉のために原告宅を訪れた中嶋に対し、原告居住マンション一階敷地内において、その襟首を掴んで振り回したり、蹴飛ばすなどの暴行を加え、全治一〇日を要する頚部挫傷の傷害を負わせたものである。

ところで、被疑者の逮捕状請求は、請求時に存在した捜査資料に基づき合理的に判断して、被疑者がその罪を犯したと疑うに足りる相当の理由があり、かつ逮捕の必要性があれば適法であるところ、本件逮捕状請求時には、本件被疑事件の被害者である中嶋の供述調書、その目撃者である千田の供述調書、中嶋の被害届、訴外千葉健生病院医師作成にかかる中嶋の傷害程度に関する診断書のほか、上野警部補及び藤井幾男巡査部長(以下「藤井巡査部長」という)らが実施した原告の犯罪歴の調査、原告の本籍地に関する捜査、本件被疑事件の現場付近の実況見分、原告居住マンションの管理人に対する聞込み捜査、原告の架設電話に関する捜査、原告宅付近の居住者に対する聞込み捜査及び原告に対する張込み捜査等の捜査結果が存在した。

(一) 逮捕理由(相当な嫌疑)の存在

右各捜査結果により、(1)本件被疑事件の被害者である中嶋及びその目撃者千田の供述内容は、具体性・臨場感に富み、真摯な態度で供述されたものであるうえ、相互に符合し、実況見分や診断書の内容と一致するなど、信用できるものであること、(2)中嶋は、頚部挫傷につ、医師の診察・治療を受けており、その旨の診断書も存すること、(3)右診断書の記載内容は中嶋の供述と一致しており、中嶋の主訴のみにより作成されたものとは到底考えられなかったこと、(4)原告は、本件被疑事件以前に、売掛金回収のために赴いた千田を怒鳴りつけており、本件被疑事件は、売掛金請求を断念させる意図で行われたと認められること等が判明したのであるから、渡邊警部が前記捜査資料に基づき合理的に判断して、原告が本件被疑事件を犯したと疑うに足りる相当の理由があるとして本件逮捕状請求をなしたことは適法である。

なお、上野警部補は、本件勾留請求後の平成元年一二月四日に、前記診断書を作成した医師から中嶋の診察状況につき事情聴取したところ、同医師は、(1)中嶋が、本件被疑事件発生の翌日(同年一一月一五日)に来院したこと、(2)中嶋は、受診した際、ネクタイを掴まれて首を締めつけられ、喉が痛いと訴え、医師が指で押すと疼痛があるとのことで、湿布と痛み止めを投与したこと、(3)中嶋は、同月二〇日ころ、再来院し、喉に痛みが残る旨訴えたため、診断書を作成した旨供述しており、かかる供述内容によっても、前記診断書が単に中嶋の主訴のみにより作成されたものでないことは明らかである。

(二) 逮捕の必要性の存在

右各捜査結果により、(1)原告は、中嶋に一旦暴行を加えた後、同人を約四、五〇メートルも連行したうえ、更に暴行を加えるなどその手段・態様が悪質であること、(2)右暴行により、中嶋が全治一〇日の頚部挫傷の傷害を負ったこと、(3)原告は、レストランで、更に、自己が負っている債務について督促を撤回しろなどと脅迫に及ぶような言動をしていること、(4)原告は、原告宅付近において、たまにしか見かけられておらず、どのような仕事をしているか分からない旨の風評があったこと、(5)原告が独身であること、(6)原告の居住・行動実態等が確認されなかったこと、(7)原告宅に数回架電しても応答がなかったこと等が判明したのであるから、渡邊警部が前記捜査資料に基づき合理的に判断して、原告が警察の捜査を察知すれば、逃亡するおそれがあり、更に中嶋及び千田に対し威迫による罪証隠滅を図るおそれもあり、原告を逮捕する必要性があるとして本件逮捕状請求をしたことは適法である。

2 本件勾留請求の適法性

被疑者の勾留請求は、請求時に存在した捜査資料に基づき合理的に判断して、被疑者がその罪を犯したと疑うに足りる相当の理由があり、かつ必要性があれば適法であるところ、本件勾留請求時には、前記1の捜査結果が存在したうえ、原告は、逮捕後の弁解録取、事情聴取において、中嶋のネクタイを一回掴んだ事実は認めたもののその余の暴行を否認して傷害にかかる本件被疑事件を否認し、また送致後の弁解録取においても同様の供述をし、勾留質問においても同様の供述を繰り返した。

(一) 勾留理由(相当な嫌疑)の存在

右各捜査結果により、前記1(一)記載の事情のほか、原告が逮捕直後から本件被疑事件を否認しつつ、中嶋のネクタイを掴んだ事実自体は認めていたこと等が判明したのであるから、東京地方検察庁検察官が前記捜査資料に基づき合理的に判断して、原告が本件被疑事件を犯したと疑うに足りる相当の理由があるとして本件勾留請求をなしたことは適法である。

(二) 勾留の必要性の存在

右各捜査結果により、右(一)記載の事情が判明したのであるから、東京地方検察庁検察官が前記捜査資料に基づき合理的に判断して、原告が逃亡するおそれがあり、更に中嶋及び千田に対し威迫による罪証隠滅を図るおそれもあり、原告を勾留する必要性があるとして本件勾留請求をなしたことは適法である。

3 本件勾留決定の適法性

「裁判官がした争訟の裁判に上訴等の訴訟法上の救済方法によって是正されるべき瑕疵が存在したとしても、これによって当然に国家賠償法一条一項の規定にいう違法な行為があったものとして国の損害賠償責任の問題が生ずるものではなく、右責任が肯定されるためには、当該裁判官が違法又は不当な目的をもって裁判をしたなど、裁判官がその付与された権限の趣旨に明らかに背いてこれを行使したものと認めうるような特別の事情があることを必要とすると解するのが相当である」との最高裁昭和五七年三月一二日第二小法廷判決は、裁判官の職務行為一般について妥当するところ、前記1、2記載の事情からすれば、本件勾留決定について右「特別の事情」が存しないことは明らかであるから、原告の請求は認められるべきではない。

4 損害

原告の主張は否認又は争う。

第三  争点に対する判断

一  争点1(本件逮捕状請求の違法性)について

1 逮捕状請求は、そのなされた時点において犯罪の嫌疑について相当な理由があり、かつその必要性が認められる限りは適法であるから(最高裁昭和五三年一〇月二〇日第二小法廷判決・民集第三二巻第七号一三六七頁参照)、逮捕状請求の適法性の判断は、それがなされた時点までに存在した捜査資料に基づき客観的・合理的に判断して、罪を犯したと疑うに足りる相当な理由があり、かつ逮捕の必要性が認められたか否かを判断すれば足りる。

2  そこで、本件逮捕状請求時までに存在した捜査資料につき検討するに、前記争いのない事実等及び証拠(甲第一号証の一ないし四、第二号証の一、二、証人上野勝久、同藤井幾男、同若山さえの各証言、原告本人尋問の結果)によれば、以下の事実を認めることができる。

(一) 上野警部補は、平成元年一一月一八日、中嶋から電話で、「同月一四日に売掛金の回収交渉のために原告宅を訪問したところ、原告居住マンションの敷地内で、原告から暴行を振るわれて怪我をし医者に行った。目撃者もいる」との被害申告を受けた。

上野警部補が、中嶋に売掛金を証する書面があるかどうか尋ねたところ、同人は、内容証明郵便等の書類があると回答した。また、上野警部補は、中嶋に医者から診断書を取ってくるよう指示した。さらに、上野警部補が、事件発生から四日経ってから被害を申告した理由について尋ねたところ、中嶋から「原告が元取引先であったので警察沙汰にしたくないとの気持ちがあったが、喉が痛くて仕方がないので申告することにした」との回答を得た。

右申告を受けた上野警部補は、恐喝、傷害事犯の可能性を考慮し、申告内容を上司の渡邊警部に報告し、同人から、中嶋に直接会って事情聴取するよう指示を受けた。

(二) 同月二一日、中嶋が千田とともに蒲田警察署に来所したので、上野警部補は自ら中嶋から事情聴取をするとともに、部下の藤井巡査部長に千田から事情聴取をするよう命じた。すなわち、

(1) 上野警部補は、中嶋から次の①ないし⑦の事情を聴取し、供述調書を作成した。

① 中嶋は食品販売等を業とする高瀬物産の取締役兼千葉支店長であり、原告は、千葉市内でレストラン「イタリアントマト稲毛店」を経営している。

② 高瀬物産は、原告経営の「イタリアントマト稲毛店」に、食品材料等を販売していたが、昭和六二年一〇月ころ、原告から一方的に取引を停止され、約三〇〇万円の売掛金代金債権を未収として残しており、再三にわたって内容証明郵便等によって支払を請求したにもかかわらず、原告から支払を受けられないでいた。

③ 高瀬物産の中嶋と千田は、平成元年一一月一四日午前一〇時ころ、右売掛金残代金の回収交渉のため、原告居住マンション五階にある原告宅を訪問し、インターホンにより玄関先でその請求をしたが、原告はドアを開けないまま、中嶋らに対して、「一階に降りて待っていろ」等と怒鳴った。

④ 中嶋と千田は、マンション一階で原告を待っていたところ、原告は、約五分後に階段を降りてきて、中嶋に対して、突然、「朝っぱらから何だ」等と怒鳴りつけ、同人のネクタイの結び目辺りを掴み、前後左右に振り回す暴行を加えた。

⑤ 千田が仲裁に入ったが、原告は、さらに、中嶋を、右場所から約四〇メートル離れた駐車場の人気のない方に連れていき、再度同人のネクタイの結び目辺りを掴んで前後左右に振り回し、足を蹴飛ばした。中嶋は、ネクタイが締まった状態になり喉が痛くなった。また、その際に同人のワイシャツのボタンが二つちぎれた。

⑥ 千田の仲裁で暴行が収まった後、中嶋と千田は、何とかして売掛金を支払ってもらおうと、原告に話し合いを提案し、共に原告居住マンション二階にあるレストランに入ったが、原告は「内容証明郵便は撤回しろ。内容証明郵便がありながら何故自宅に来るのか」等と脅迫めいた言動をとったため、話し合いは一向に進展しなかった。

中嶋は、右レストランで食事もしたが、喉が痛くて大半を残してしまった。

⑦ 中嶋は、その後も頚部付近が痛み、皮膚に発赤が残っていたことから、同月一五日、訴外千葉健生病院で診察・治療を受け、頚部挫傷全治一〇日の診断を受け、同月二〇日、右病院の医師にその旨の診断書を作成してもらった。

上野警部補は、右のような中嶋の供述が、詳細かつ具体的であって臨場感があったため、信用できると判断した。

(2) 藤井巡査部長は、中嶋の右被害申告を確認するため、千田から次の①ないし⑤の事情を聴取し、供述調書を作成した。

① 千田は、原告に対して、売掛金回収のため、何回か電話で催促し、原告宅を訪問もしたが、原告は一向にこれを支払わなかった。

② 中嶋と千田は、平成元年一一月一四日午前一〇時ころ、売掛金残代金の回収交渉のため、原告宅を訪問したが、原告はドアを開けないまま、中嶋らに対して、「一階に降りて待っていろ」等と怒鳴った。

中嶋と千田は、マンション一階の正面玄関入口付近で原告を待っていたところ、原告は約五分後に階段を降りてきて、中嶋に対して、突然、「てめぇ、中嶋」等と怒鳴り、同人のネクタイの結び目辺りを掴み、前後左右に振り回す暴行を加えたため、千田が仲裁に入った。

原告が中嶋のネクタイを掴んで振り回した際、もう一方の手で同人を殴るような仕草をしたため、同人は、持っていた鞄で顔を防御した。

③ 原告は、「こっちへ来い」と言って、中嶋を、右場所から約四〇メートル離れた駐車場の人気のない方に連れていき、再度同人のネクタイの結び目辺りを掴んで前後左右に振り回し、同人の向う脛付近を数回蹴り付けた。

④ 千田の仲裁で原告の暴行がおさまり、千田は、中嶋のよじれたネクタイを直してやったが、その際、中嶋のワイシャツのボタンが二つちぎれ、同人の喉の部分が少し赤くなっていたのを見た。

中嶋、千田と原告は、原告居住マンション二階にあるレストランに入ったが、原告は「内容証明郵便は撤回しろ」等脅迫めいた言動をとったため、話し合いは一向に進展しなかった。

⑤ 千田は、右同日、原告居住マンションから帰る際、中嶋から喉が痛いと聞き、翌一五日も同人から病院に行って来たと聞いた。

上野警部補らは、右のような千田の供述が、中嶋の供述を裏付けるものであり、目撃状況を具体的に真摯な態度で供述していたため、信用できると判断した。

(三) また、右同日、中嶋は、蒲田警察署に対し、「自分は、平成元年一一月一四日、原告居住マンション一階において、原告から胸倉を掴まれて左右に数回振り回され、蹴飛ばされる等の暴行を加えられ、これによって全治一〇日を要する頚部挫傷の傷害を受けた」旨の被害届を提出するとともに、原告に対する売掛金に関する内容証明郵便、帳簿等の書類を複数持参したうえ、被害内容を裏付けるものとして「頚部挫傷全治一〇日」と記載された千葉健生病院医師作成の診断書を提出した。

(四) 上野警部補は、右の診断書が、中嶋と千田の左記各供述と符合していたことや、原本であったこと等から、作成した医師に診療経過の確認をしなくとも、信用できるものと考え(但し、上野警部補は、本件勾留請求後の同年一二月四日、右の確認をした)、中嶋、千田の右各供述、被害届及び診断書等の記載内容から、本件は、傷害被疑事件としてだけではなく、加害者が代金支払の内容証明郵便の撤回を被害者に迫っていることからみて恐喝事件に発展する可能性もある悪質な事件であると判断した。

次いで、同警部補は、右捜査結果を渡邊警部に報告し、同人からさらに捜査するよう指示を受け、上野警部補、藤井巡査部長ほか三名の捜査員で、聞込み捜査、張込み捜査等に当たることにした。

(五) そこで、上野警部補らは、直ちに、原告の前科前歴照会と身上照会を行い、原告に前科がなく、暴力団関係者ではないこと、また原告が独身である旨の調査結果を得た。

次いで、上野警部補は、翌二二日、原告居住マンションの存在等を確認するため、本件被疑事件の犯行場所とされる右マンションを現地確認し、中嶋と千田の各供述の裏付けを取った。

(六) その後、同月二三日から同二七日までにかけて、上野警部補の指示により、複数の捜査員が、通常の出勤時間帯の午前八時ころから同一〇時ころまで、午後一時ころから同三時ころまで、通常の帰宅時間帯の午後五時ころから同八時ころまでのいずれか複数の時間帯に、それぞれ原告宅の張込み捜査を行ったが、出入りする者や、照明の点灯等を確認することができなかった。

これと併行して、藤井巡査部長らは、原告宅の架設電話に対する捜査を行い、右電話の架設名義人が原告ではなく、原告が経営していると思われる会社名義であるとの捜査結果を得ていた上野警部補の指示のもと、通常の出勤時間帯の午前八時ころから同一〇時ころまでの間、原告宅を見ることができる原告居住マンション北側駐車場付近等で、原告宅の張込み捜査を行ったが、出入りする者や、照明の点灯等を確認することができなかった。

また、上野警部補らは、同月二五日、原告の生活状況等を調べるため、原告宅の近隣住民に原告についての聞込み捜査を実施したが、原告がたまにしか見かけられず、どのような仕事をしているか分からないとの捜査結果を得た。

(七) 上野警部補らは、同月二七日、午前一〇時ころから同一一時ころまでの間、本件被疑事件の目撃者千田の立会いのもと、原告居住マンションの実況見分をして、犯行場所が右マンションの敷地内であること、原告が中嶋に最初に暴行を加えた場所は右マンション一階玄関付近であること、その後に原告が中嶋を連行して更に暴行を加えた場所は右マンション駐車場付近であること、原告が中嶋を連行した距離は約四、五〇メートルであることなどを確認し、実況見分調書を作成し、中嶋及び千田供述の裏付けを取った。

その後、上野警部補らは、原告の居所に対する捜査として、原告居住マンションの管理人への聞込み捜査を実施し、原告宅が原告の所有名義であるとの捜査結果を得た。

また、上野警部補らは、このころまでに、原告宅に合計二、三回架電したが、いずれも応答がなかった。

次いで、同月二八日にも、藤井巡査部長らは、通常の帰宅時間帯の午後六、七時ころから同八時ころまでの間、原告宅の見える場所で、原告宅の張込み捜査を実施したが、出入りする者や照明の点灯等を確認することができなかった。

また、藤井巡査部長らは、原告宅に架電したが、同日も応答がなかった。

(八) そこで、上野警部補は、以上の捜査結果から、原告が本件被疑事件を犯したことを疑うに足りる相当の理由があり、かつ逮捕の必要性があるものとして、その旨を渡邊警部に報告し、右報告を受けた渡邊警部は、右のとおり原告について逮捕の理由及びその必要性(逃亡のおそれ及び罪証隠滅のおそれ)があるものと判断し、同月二八日、本件被疑事件について、大森簡易裁判所裁判官に対し、本件逮捕状請求をした。

大森簡易裁判所裁判官は、同日、右逮捕状を発布した。

(九) 上野警部補は、逮捕状が発布された以後も、原告宅への張込みや、架電等の捜査を継続していたが、原告の動向が依然つかめなかったため、原告を直接取り調べる必要があると判断し、同年一二月二日、渡邊警部から、原告宅に赴いて原告に接触し、任意同行に応じれば同行するよう、応じなければ逮捕するようにとの指示を受けたので、ほか三名の警察官とともに、午前一〇時五〇分ころ、原告宅に赴き、任意同行を求めた。

しかし、原告は、同警部補らから玄関先で警察である旨告げられたのに原告宅のドアを容易に開けなかったうえ、部屋の中に入った同警部補から蒲田警察署へ同行してほしい旨言われたことにも従わず、結局任意同行を拒否したため、同警部補らは、午前一一時一〇分ころ、逮捕状を示し、逮捕状記載の犯罪事実の要旨を告げて、右逮捕状に基づき、原告を通常逮捕し、午後一二時二〇分ころ、蒲田警察署司法警察員に引致した。

蒲田警察署長は、同月三日、原告を東京地方検察庁検察官に送致した。以上のとおり認められ、右(九)に反する原告本人の供述部分は前記証人上野、同藤井の各証言に照らし、信用することができない。

また、原告本人尋問の結果中には、原告は中嶋に対しネクタイを掴んだり足を軽く当てる程度の暴行をしただけであること、原告居住マンション二階のレストランでは脅迫めいた言動をしていないこと、勤務時間の関係上家を留守にすることが多く、特に不審な生活様式をとっていたわけではないこと等を供述する部分があるが、それらはいずれも捜査段階における担当捜査官による判断並びに捜査結果が前認定のとおりであることの妨げとなるものではない。

3 以上の認定事実によれば、渡邊警部がした本件逮捕状請求については、その当時の捜査資料に基づき客観的・合理的に判断すれば、原告が本件被疑事件を犯したと疑うについて相当な理由があり、かつ逮捕の必要性が認められたというべきであるから、右逮捕状請求が違法なものであるということはできない。

これに対し、原告は、「本件被疑事件は、民事紛争に関連したものであり、一方当事者が警察の介入によって債権回収を図るため虚偽の事実を申告する危険性があるうえ、前記診断書は、中嶋の主訴だけで作成されうるものであるから、捜査機関としては、右診断書を作成した医師への聞き取り等の裏付け捜査をすることが不可欠であるところ、蒲田警察署警察官は、その裏付け捜査を何ら行っていない。また、本件被疑事件が、重大事案とはいえないこと、民事紛争を背景に持つことが明らかであること、原告の社会的地位・財産状態等を考慮すれば、原告が暴力団構成員である等の特別な事情がない以上、少なくともまず任意の事情聴取をなすべきであったにもかかわらず、原告に対する任意の事情聴取を一度も行っていないことからすれば、本件逮捕状請求は、罪を犯したと疑うに足りる理由も逮捕の必要性もないままに行われたものであって、違法なものである」旨主張する。

しかし、前認定の事実によれば、担当捜査官において、本件被疑事件の被害者である中嶋及びその目撃者千田の供述内容が、相互に符合し、実況見分や診断書の内容と一致するなど、信用できるものであること、診断書の記載内容は中嶋の供述と一致しており中嶋の主訴のみにより作成されたとは考えられないこと、さらに、原告が、中嶋に一旦暴行を加えた後、同人を約四、五〇メートルも連行したうえ、さらに暴行を加えるなどその暴行手段・態様が悪質であること、右暴行により、中嶋が全治一〇日の頚部挫傷の傷害を負ったこと、原告は、その後もレストランで買掛金債務について、督促を撤回しろなどと脅迫的な言動をしていること、原告は、原告宅付近において、たまにしか見かけられておらず、どのような仕事をしているか分からない旨の風評があったこと、原告が独身であること(なお、前記証人若山の証言及び原告本人尋問の結果によると、当時原告は同女と同棲していたことが認められるものの、戸籍上は独身であった)、原告の居所・行動実態等が確認されなかったこと、原告宅に数回架電しても応答がなかったこと等の捜査結果が得られたことが認められるから、渡邊警部が、密行性と時間制限という限界を画された捜査段階において、前記2で認定した捜査資料によって、原告が本件被疑事件を犯したと疑うに足りる相当の理由があり、また逮捕の必要性があるとして本件逮捕状請求をした判断は、捜査官による逮捕の理由及び必要性の判断として客観的・合理的なものであると認めることができる。したがって、原告の右主張は採用できない。

また、原告は、原告本人からの事情聴取等をしないで本件逮捕状請求をしたことを問題とするが、前認定のとおりの張込み捜査の結果及び電話確認ができなかったこと等の捜査状況に照らすと、渡邊警部が原告本人からの事情聴取をすることなく本件逮捕状請求をしたことが、捜査官としての合理的判断の範囲を逸脱したものとはいえないから、これをもって本件逮捕状請求が違法であるということもできない。

二  争点2(本件勾留請求の違法性)について

勾留請求は、そのなされた時点において犯罪の嫌疑について相当な理由があり、かつ勾留の必要性が認められる限りは適法であるから(前記最高裁第二小法廷判決参照)、勾留請求の適法性の判断は、それがなされた時点までに存在した捜査資料に基づき客観的・合理的に判断して、罪を犯したと疑うに足りる相当な理由があり、かつ勾留の必要性が認められたか否かを判断すれば足りるところ、本件勾留請求時までに存在した捜査資料につき検討するに、前記一2に認定した捜査資料のほかに、証拠(証人上野勝久、同藤井幾男の各証言、原告本人尋問の結果)によれば、原告が蒲田警察署における弁解録取及び取調において、本件被疑事件を否認しつつ、頚部挫傷の原因になったと考えられる中嶋のネクタイを掴んだ事実自体は認める旨の供述をし、さらに中嶋の足をズックを履いた足の裏側で突っついたと供述していたこと、かかる供述について弁解録取書、供述調書が作成されたこと、東京地方検察庁における弁解録取においても同様の供述をしていたこと等が認められる。

右によれば、東京地方検察庁検察官がした本件勾留請求には、それがなされた平成元年一二月三日の時点までに存在した右認定のとおりの捜査資料に基づき、客観的・合理的に判断して、原告が本件被疑事件を犯したと疑うについて相当な理由があり、かつ勾留の必要性があると認められるものであるから、これを違法と認めることはできない。

この点に関し、原告は、「本件勾留請求の時点においては、本件逮捕状請求時に存した捜査資料に逮捕後の原告の供述が加わったことにより、本件被疑事件が民事紛争を背景とするものであること、中嶋らの供述が一方的なものであること、診断書の信用性が低いこと、原告は買掛金債務の弁済の意思を表明し、本件被疑事件にも解決に向けた話し合いがされていたこと、原告の財産状況・家庭状況等も明らかとなっていたことからすれば、嫌疑の存在も勾留の必要性も本件逮捕状請求時よりも低減していたものであるから、本件勾留請求は、罪を犯したと疑うに足りる相当な理由も勾留の必要性もないままに行われた違法なものである」旨主張するが、原告も中嶋のネクタイを掴んだこと自体は認めているのであるから、たとえ中嶋が先に掴みかかるように突進してきた旨原告が供述したとしても、それだけでは嫌疑の相当性や身柄拘束の必要性が消滅したとはいえず、前記認定のとおりの捜査結果に照らせば、東京地方検察庁検察官において、原告が本件被疑事件を犯したと疑うに足りる相当の理由があり、かつ勾留の必要性があるとして本件勾留請求をした判断は客観的・合理的なものであると認められるから、原告の右主張は採用できない。

三  争点3(本件勾留決定の違法性)について

裁判官が行う勾留裁判につき国家賠償法一条一項の規定にいう違法な行為があったものとして国の損害賠償責任が肯定されるためには、裁判官がその職務の追行ないしその権限の行使としてした勾留裁判に刑事訴訟法上の救済方法によって是正されるべき瑕疵が存在するだけでは足りず、当該裁判官が違法又は不当な目的をもって裁判をしたなど、裁判官がその付与された権限の趣旨に明らかに背いてこれを行使したものと認めうるような特別の事情があることを必要とすると解するのが相当である。

原告は、勾留裁判とはその性格を異にする争訟の裁判に関して判示した最高裁昭和五七年三月一二日第二小法廷判決(民集第三六巻第三号三二九号)の法理は勾留裁判については妥当せず、被疑者が本件被疑事件を犯したと疑う相当な理由と勾留の必要性が客観的・合理的に判断して存しないままなされた勾留決定は国家賠償法上違法と評価されるべきである旨主張するが、勾留裁判も、自由心証主義に基づき証拠を取捨選択して事実(嫌疑)を認定し、これに法を解釈適用して一定の公権的判断をするという裁判の特質を有し、裁判官の判断の瑕疵は不服申立制度によってその手続内で是正されることが法律上予定されているという点では、争訟の裁判とその本質において変わるところはないというべきであるから、原告の右主張は採用できない。

そして、本件においては、前記一2及び二に認定した事実に照らせば、本件勾留決定について右特別の事情が存するとは認められず、他にこれを認めるに足りる証拠はないから、本件勾留決定が国家賠償法上違法となるものということはできない。

なお、原告は、勾留裁判の特質性から、勾留の理由と必要性の判断に著しく合理性を欠いた場合には前記特別の事情が認められ、勾留裁判が国家賠償法上も違法となると解すべきである旨主張するが、仮に右主張を前提としても、前記認定の事実に照らせば、本件勾留決定が勾留の理由と必要性の判断に著しく合理性を欠いたものと認めることもできないから、原告の右主張は理由がない。

四  以上によれば、原告の請求は、その余の点(損害)について判断するまでもなく理由がない。

よって、原告の被告らに対する請求をいずれも棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官大和陽一郎 裁判官齊木教朗 裁判官菊地浩明)

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